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[CD感想] 

元島音楽がなぜ心をうつか

30代男性facebookより

元島さんがCDの音源を発表するということで、元島音楽のファンである僕はすぐに申し込みをし、注文させてもらった。

 

自宅に届いたCDを早速に夫婦で聞かせてもらったが、素晴らしい音楽だった。今では通勤時間に聞いたり、気分が落ち込んでしまうような時によく聞いている。

 


元島音楽が何故人の心を深く打つのか。それはそこにはこの世に充ち満ちている「虚飾」や「過剰さ」といったものが見当たらないからである。サウンドも声も、圧倒的にミニマムな作品になっている。
あくまで隣にいる人に語り掛けるような、そっとした、自然な表現で包まれている。


ああ僕が本当に聞きたかった音楽というのはこういうものだったのだ、と気付かせてくれる。


元島音楽のことを「小さきものを小さきままに歌うリリシスト」と評された方がいたが、この言葉は、これ以上無いという位に元島音楽の本質を突いている言葉であると思う。


僕達は、一人ひとりが小さき人間である。小さき存在同士が触れ合った時に出来る、小さな波紋、小さな磁場。それらをそのままに表現できることの素晴らしさよ、才能よ。


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私的なことになるが、僕は時々この社会の成り立ちが嫌になることがある。
洗練されたかのように見せかける限りない消費傾向社会、過剰なまでの欲望の喚起、貨幣への依存性、そしてそれを支える高度資本主義社会。


僕達の欲望はそれほどまでに過剰に満たされなければならないものなのか。


欲望は、マーケティングにより喚起され、流通され、商品となり、そして消費されていく。でも僕達は本当にそれが欲しかったのだろうか。


僕達は本当にそれを求めていたのだろうか。


少なくとも僕の求めているものはそこにはない。僕が求めているのは、資本からも、貨幣からも解放された、ある種の関係性だ。
想いを寄せる人達との交流、家族との生活、日常への親和性、生きとし生けるものへの愛情。
そんな小さきもの達だ。


僕はそのような小さきもの達の価値を大切にしていきたい。


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元島音楽の表現は、それらを見事に歌い上げている。


だから僕はこの歌が自分自身の為にも歌われているような気がするのだ。


だから僕はこの歌に強く惹きつけられるのだ。